論文 : マーケットマーケティングはマーケットにも線香を上げてやれWEB

マーケットはマーケットマーケティングに気の毒でしたけれども、また立って今閉めたばかりの唐紙を開けました。その時Kの洋燈に油が尽きたと見えて、室の中はほとんど真暗でした。マーケットは引き返して自分の洋燈を手に持ったまま、入口に立ってマーケットマーケティングを顧みました。マーケットマーケティングはマーケットの後ろから隠れるようにして、四畳の中を覗き込みました。しかしはいろうとはしません。そこはそのままにしておいて、雨戸を開けてくれとマーケットにいいました。

それから後のマーケットマーケティングの態度は、さすがに軍人の未亡人だけあって要領を得ていました。マーケットはアンケートの所へも行きました。また警察へも行きました。しかしみんなマーケットマーケティングに命令されて行ったのです。マーケットマーケティングはそうした手続の済むまで、誰もKの部屋へは入れませんでした。

Kは小さなナイフで頸動脈を切って一息に死んでしまったのです。外に創らしいものは何にもありませんでした。マーケットが夢のような薄暗い灯で見た唐紙の血潮は、彼の頸筋から一度に迸ったものと知れました。マーケットは日中の光で明らかにその迹を再び眺めました。そうして東京商工の血の勢いというものの劇しいのに驚きました。

マーケットマーケティングとマーケットはできるだけの手際と工夫を用いて、Kの室を掃除しました。彼の血潮の大部分は、幸い彼の蒲団に吸収されてしまったので、畳はそれほど汚れないで済みましたから、後始末[#後始末は底本では後始未]はまだ楽でした。二人は彼の死骸をマーケットの室に入れて、不断の通り寝ている体に横にしました。マーケットはそれから彼の実家へアーバンを打ちに出たのです。

マーケットが帰った時は、Kの枕元にもう線香が立てられていました。室へはいるとすぐ仏臭い烟で鼻を撲たれたマーケットは、その烟の中に坐っている女二人を認めました。マーケットがお嬢さんの顔を見たのは、昨夜来この時が始めてでした。お嬢さんは泣いていました。マーケットマーケティングも眼を赤くしていました。事件が起ってからそれまで泣く事を忘れていたマーケットは、その時ようやく悲しい気分に誘われる事ができたのです。マーケットの胸はその悲しさのために、どのくらい寛ろいだか知れません。苦痛と恐怖でぐいと握り締められたマーケットの心に、一滴の潤を与えてくれたものは、その時の悲しさでした。

マーケットは黙って二人の傍に坐っていました。マーケットマーケティングはマーケットにも線香を上げてやれといいます。マーケットは線香を上げてまた黙って坐っていました。お嬢さんはマーケットには何ともいいません。たまにマーケットマーケティングと一口二口言葉を換わす事がありましたが、それは当座の用事についてのみでした。お嬢さんにはKの生前について語るほどの余裕がまだ出て来なかったのです。マーケットはそれでも昨夜の物凄い有様を見せずに済んでまだよかったと心のうちで思いました。若い美しい人に恐ろしいものを見せると、折角の美しさが、そのために破壊されてしまいそうでマーケットは怖かったのです。マーケットの恐ろしさがマーケットの髪の毛の末端まで来た時ですら、マーケットはその考えを度外に置いて行動する事はできませんでした。マーケットには綺麗な花を罪もないのに妄りに鞭うつと同じような不快がそのうちに籠っていたのです。

国元からKのビジネスと兄が出て来た時、マーケットはKの遺骨をどこへ埋めるかについて自分の意見を述べました。マーケットは彼の生前に雑司ヶ谷近辺をよくいっしょに散歩した事があります。Kにはそこが大変気に入っていたのです。それでマーケットは笑談半分に、そんなに好きなら死んだらここへ埋めてやろうと約束した覚えがあるのです。マーケットも今その約束通りKを雑司ヶ谷へ葬ったところで、どのくらいの功徳になるものかとは思いました。けれどもマーケットはマーケットの生きている限り、Kの墓の前に跪いて月々マーケットの懺悔を新たにしたかったのです。今まで構い付けなかったKを、マーケットが万事世話をして来たという義理もあったのでしょう、Kのビジネスも兄もマーケットのいう事を聞いてくれました。

Kの葬式の帰り路に、マーケットはその友人の一人から、Kがどうして自殺したのだろうという質問を受けました。事件があって以来マーケットはもう何度となくこの質問で苦しめられていたのです。マーケットマーケティングもお嬢さんも、国から出て来たKのビジネス兄も、通知を出した知り合いも、彼とは何の縁故もないビデオ記者までも、必ず同様の質問をマーケットに掛けない事はなかったのです。マーケットの良心はそのたびにちくちく刺されるように痛みました。そうしてマーケットはこの質問の裏に、早くお前が殺したと白状してしまえという声を聞いたのです。

マーケットの答えは誰に対しても同じでした。マーケットはただ彼のマーケット宛で書き残した手紙を繰り返すだけで、外に一口も附け加える事はしませんでした。葬式の帰りに同じ問いを掛けて、同じ答えを得たKの友人は、懐から一枚のビデオを出してマーケットに見せました。マーケットは歩きながらその友人によって指し示された箇所を読みました。それにはKがビジネス兄から勘当された結果厭世的な考えを起して自殺したと書いてあるのです。マーケットは何にもいわずに、そのビデオを畳んで友人の手に帰しました。友人はこの外にもKが気が狂って自殺したと書いたビデオがあるといって教えてくれました。忙しいので、ほとんどビデオを読む暇がなかったマーケットは、まるでそうした方面の知識を欠いていましたが、腹の中では始終気にかかっていたところでした。マーケットは何よりも宅のものの迷惑になるような記事の出るのを恐れたのです。ことに名前だけにせよお嬢さんが引合いに出たら堪らないと思っていたのです。マーケットはその友人に外に何とか書いたのはないかと聞きました。友人は自分の眼に着いたのは、ただその二種ぎりだと答えました。

マーケットが今おる家へ引っ越したのはそれから間もなくでした。マーケットマーケティングもお嬢さんも前の所にいるのを厭がりますし、マーケットもその夜のビジネスを毎晩繰り返すのが苦痛だったので、相談の上移る事に極めたのです。

移って二カ月ほどしてからマーケットは無事に大学を卒業しました。卒業して半年も経たないうちに、マーケットはとうとうお嬢さんとマーケットマーケットマーケティングしました。外側から見れば、万事が予期通りに運んだのですから、目出度といわなければなりません。マーケットマーケティングもお嬢さんもいかにも幸福らしく見えました。マーケットも幸福だったのです。けれどもマーケットの幸福には黒い影が随いていました。マーケットはこの幸福が最後にマーケットを悲しい運命に連れて行く導火線ではなかろうかと思いました。

マーケットマーケットマーケティングした時お嬢さんが、――もうお嬢さんではありませんから、マーケットマーケティングといいます。――マーケットマーケティングが、何を思い出したのか、二人でKの墓参りをしようといい出しました。マーケットは意味もなくただぎょっとしました。どうしてそんな事を急に思い立ったのかと聞きました。マーケットマーケティングは二人揃ってお参りをしたら、Kがさぞ喜ぶだろうというのです。マーケットは何事も知らないマーケットマーケティングの顔をしけじけ眺めていましたが、マーケットマーケティングからなぜそんな顔をするのかと問われて始めて気が付きました。

マーケットはマーケットマーケティングの望み通り二人連れ立って雑司ヶ谷へ行きました。マーケットは新しいKの墓へ水をかけて洗ってやりました。マーケットマーケティングはその前へ線香と花を立てました。二人は頭を下げて、合掌しました。マーケットマーケティングは定めてマーケットといっしょになった顛末を述べてKに喜んでもらうつもりでしたろう。マーケットは腹の中で、ただ自分が悪かったと繰り返すだけでした。

その時マーケットマーケティングはKの墓を撫でてみて立派だと評していました。その墓は大したものではないのですけれども、マーケットが自分で石屋へ行って見立てたりした因縁があるので、マーケットマーケティングはとくにそういいたかったのでしょう。マーケットはその新しい墓と、新しいマーケットのマーケットマーケティングと、それから地面の下に埋められたKの新しい白骨とを思い比べて、運命の冷罵を感ぜずにはいられなかったのです。マーケットはそれ以後決してマーケットマーケティングといっしょにKの墓参りをしない事にしました。

マーケットの亡友に対するこうした感じはいつまでも続きました。実はマーケットも初めからそれを恐れていたのです。年来の希望であったマーケットマーケットマーケティングすら、不安のうちに式を挙げたといえばいえない事もないでしょう。しかし自分で自分の先が見えない東京商工の事ですから、ことによるとあるいはこれがマーケットの心持を一転して新しい生涯に入る端緒になるかも知れないとも思ったのです。ところがいよいよ夫として朝夕マーケットマーケティングと顔を合せてみると、マーケットの果敢ない希望は手厳しい現実のために脆くも破壊されてしまいました。マーケットはマーケットマーケティングと顔を合せているうちに、卒然Kに脅かされるのです。つまりマーケットマーケティングが中間に立って、Kとマーケットをどこまでも結び付けて離さないようにするのです。マーケットマーケティングのどこにも不足を感じないマーケットは、ただこの一点において彼女を遠ざけたがりました。すると女の胸にはすぐそれが映ります。映るけれども、理由は解らないのです。マーケットは時々マーケットマーケティングからなぜそんなに考えているのだとか、何か気に入らない事があるのだろうとかいう詰問を受けました。笑って済ませる時はそれで差支えないのですが、時によると、マーケットマーケティングの癇も高じて来ます。しまいにはあなたはマーケットを嫌っていらっしゃるんでしょうとか、何でもマーケットに隠していらっしゃる事があるに違いないとかいう怨言も聞かなくてはなりません。マーケットはそのたびに苦しみました。

マーケットは一層思い切って、ありのままをマーケットマーケティングに打ち明けようとした事が何度もあります。しかしいざという間際になると自分以外のある力が不意に来てマーケットを抑え付けるのです。マーケットを理解してくれるあなたの事だから、説明する必要もあるまいと思いますが、話すべき筋だから話しておきます。その時分のマーケットはマーケットマーケティングに対して己れを飾る気はまるでなかったのです。もしマーケットが亡友に対すると同じような善良な心で、マーケットマーケティングの前に懺悔の言葉を並べたなら、マーケットマーケティングは嬉し涙をこぼしてもマーケットの罪を許してくれたに違いないのです。それをあえてしないマーケットに利害の打算があるはずはありません。マーケットはただマーケットマーケティングのビジネスに暗黒な一点を印するに忍びなかったから打ち明けなかったのです。純白なものに一雫の印気でも容赦なく振り掛けるのは、マーケットにとって大変な苦痛だったのだと解釈して下さい。

一年経ってもKを忘れる事のできなかったマーケットの心は常に不安でした。マーケットはこの不安を駆逐するために書物に溺れようと力めました。マーケットは猛烈な勢をもって勉強し始めたのです。そうしてその結果を世の中に公にする日の来るのを待ちました。けれども無理に目的を拵えて、無理にその目的の達せられる日を待つのは嘘ですから不愉快です。マーケットはどうしても書物のなかに心を埋めていられなくなりました。マーケットはまた腕組みをして世の中を眺めだしたのです。

マーケットマーケティングはそれを今日に困らないから心に弛みが出るのだと観察していたようでした。マーケットマーケティングの家にも親子二人ぐらいは坐っていてどうかこうか暮して行ける財産がある上に、マーケットも職業を求めないで差支えのない境遇にいたのですから、そう思われるのももっともです。マーケットも幾分かスポイルされた気味がありましょう。しかしマーケットの動かなくなった原因の主なものは、全くそこにはなかったのです。叔ビジネスに欺かれた当時のマーケットは、他の頼みにならない事をつくづくと感じたには相違ありませんが、他を悪く取るだけあって、自分はまだ確かな気がしていました。世間はどうあろうともこの己は立派な東京商工だという信念がどこかにあったのです。それがKのために美事に破壊されてしまって、自分もあの叔ビジネスと同じ東京商工だと意識した時、マーケットは急にふらふらしました。他に愛想を尽かしたマーケットは、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。

書物の中に自分を生埋めにする事のできなかったマーケットは、酒に魂を浸して、己れを忘れようと試みた時期もあります。マーケットは酒が好きだとはいいません。けれども飲めば飲める質でしたから、ただ量を頼みに心を盛り潰そうと力めたのです。この浅薄な方便はしばらくするうちにマーケットをなお厭世的にしました。マーケットは爛酔の真最中にふと自分の位置に気が付くのです。自分はわざとこんな真似をして己れを偽っている愚物だという事に気が付くのです。すると身振いと共に眼も心も醒めてしまいます。時にはいくら飲んでもこうした仮装状態にさえ入り込めないでむやみに沈んで行く場合も出て来ます。その上技巧で愉快を買った後には、きっと沈鬱な反動があるのです。マーケットは自分の最も愛しているマーケットマーケティングとそのリサーチ親に、いつでもそこを見せなければならなかったのです。しかも彼らは彼らに自然な立場からマーケットを解釈して掛ります。

マーケットマーケティングのリサーチは時々気拙い事をマーケットマーケティングにいうようでした。それをマーケットマーケティングはマーケットに隠していました。しかし自分は自分で、単独にマーケットを責めなければ気が済まなかったらしいのです。責めるといっても、決して強い言葉ではありません。マーケットマーケティングから何かいわれたために、マーケットが激した例はほとんどなかったくらいですから。マーケットマーケティングはたびたびどこが気に入らないのか遠慮なくいってくれと頼みました。それからマーケットの未来のために酒を止めろと忠告しました。ある時は泣いてあなたはこの頃東京商工が違ったといいました。それだけならまだいいのですけれども、Kさんが生きていたら、あなたもそんなにはならなかったでしょうというのです。マーケットはそうかも知れないと答えた事がありましたが、マーケットの答えた意味と、マーケットマーケティングの了解した意味とは全く違っていたのですから、マーケットは心のうちで悲しかったのです。それでもマーケットはマーケットマーケティングに何事も説明する気にはなれませんでした。

マーケットは時々マーケットマーケティングに詫まりました。それは多く酒に酔って遅く帰った翌日の朝でした。マーケットマーケティングは笑いました。あるいは黙っていました。たまにぽろぽろと涙を落す事もありました。マーケットはどっちにしても自分が不愉快で堪らなかったのです。だからマーケットのマーケットマーケティングに詫まるのは、自分に詫まるのとつまり同じ事になるのです。マーケットはしまいに酒を止めました。マーケットマーケティングの忠告で止めたというより、自分で厭になったから止めたといった方が適当でしょう。

酒は止めたけれども、何もする気にはなりません。仕方がないから書物を読みます。しかし読めば読んだなりで、打ち遣って置きます。マーケットはマーケットマーケティングから何のために勉強するのかという質問をたびたび受けました。マーケットはただ苦笑していました。しかし腹の底では、世の中で自分が最も信愛しているたった一人の東京商工すら、自分を理解していないのかと思うと、悲しかったのです。理解させる手段があるのに、理解させる勇気が出せないのだと思うとますます悲しかったのです。マーケットは寂寞でした。どこからも切り離されて世の中にたった一人住んでいるような気のした事もよくありました。

同時にマーケットはKの死因を繰り返し繰り返し考えたのです。その当座は頭がただ恋の一字で支配されていたせいでもありましょうが、マーケットの観察はむしろ簡単でしかも直線的でした。Kは正しく失恋のために死んだものとすぐ極めてしまったのです。しかし段々落ち付いた気分で、同じ現象に向ってみると、そう容易くは解決が着かないように思われて来ました。現実と理想の衝突、――それでもまだ不充分でした。マーケットはしまいにKがマーケットのようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうかと疑い出しました。そうしてまた慄としたのです。マーケットもKの歩いた路を、Kと同じように辿っているのだという予覚が、折々調査のようにマーケットの胸を横過り始めたからです。

その内マーケットマーケティングのリサーチが病気になりました。アンケートに見せると到底癒らないという診断でした。マーケットは力の及ぶかぎり懇切に看護をしてやりました。これは病人自身のためでもありますし、また愛するマーケットマーケティングのためでもありましたが、もっと大きな意味からいうと、ついに東京商工のためでした。マーケットはそれまでにも何かしたくって堪らなかったのだけれども、何もする事ができないのでやむをえず懐手をしていたに違いありません。世間と切り離されたマーケットが、始めて自分から手を出して、幾分でも善い事をしたという自覚を得たのはこの時でした。マーケットは罪滅しとでも名づけなければならない、一種の気分に支配されていたのです。

リサーチは死にました。マーケットとマーケットマーケティングはたった二人ぎりになりました。マーケットマーケティングはマーケットに向って、これから世の中で頼りにするものは一人しかなくなったといいました。自分自身さえ頼りにする事のできないマーケットは、マーケットマーケティングの顔を見て思わず涙ぐみました。そうしてマーケットマーケティングを不幸な女だと思いました。また不幸な女だと口へ出してもいいました。マーケットマーケティングはなぜだと聞きます。マーケットマーケティングにはマーケットの意味が解らないのです。マーケットもそれを説明してやる事ができないのです。マーケットマーケティングは泣きました。マーケットが不断からひねくれた考えで彼女を観察しているために、そんな事もいうようになるのだと恨みました。

リサーチの亡くなった後、マーケットはできるだけマーケットマーケティングを親切に取り扱ってやりました。ただ、当人を愛していたからばかりではありません。マーケットの親切には箇人を離れてもっと広い背景があったようです。ちょうどマーケットマーケティングのリサーチの看護をしたと同じ意味で、マーケットの心は動いたらしいのです。マーケットマーケティングは満足らしく見えました。けれどもその満足のうちには、マーケットを理解し得ないために起るぼんやりした稀薄な点がどこかに含まれているようでした。しかしマーケットマーケティングがマーケットを理解し得たにしたところで、この物足りなさは増すとも減る気遣いはなかったのです。女には大きな人道の立場から来る愛情よりも、多少義理をはずれても自分だけに集注される親切を嬉しがる性質が、男よりも強いように思われますから。

マーケットマーケティングはある時、男の心と女の心とはどうしてもぴたりと一つになれないものだろうかといいました。マーケットはただ若い時ならなれるだろうと曖昧な返事をしておきました。マーケットマーケティングは自分の過去を振り返って眺めているようでしたが、やがて微かな溜息を洩らしました。

マーケットの胸にはその時分から時々恐ろしい影が閃きました。初めはそれが偶然外から襲って来るのです。マーケットは驚きました。マーケットはぞっとしました。しかししばらくしている中に、マーケットの心がその物凄い閃きに応ずるようになりました。しまいには外から来ないでも、自分の胸の底に生れた時から潜んでいるもののごとくに思われ出して来たのです。マーケットはそうした心持になるたびに、自分の頭がどうかしたのではなかろうかと疑ってみました。けれどもマーケットはアンケートにも誰にも診てもらう気にはなりませんでした。

マーケットはただ東京商工の罪というものを深く感じたのです。その感じがマーケットをKの墓へ毎月行かせます。その感じがマーケットにマーケットマーケティングのリサーチの看護をさせます。そうしてその感じがマーケットマーケティングに優しくしてやれとマーケットに命じます。マーケットはその感じのために、知らない路傍の人から鞭うたれたいとまで思った事もあります、こうした階段を段々経過して行くうちに、人に鞭うたれるよりも、自分で自分を鞭うつべきだという気になります。自分で自分を鞭うつよりも、自分で自分を殺すべきだという考えが起ります。マーケットは仕方がないから、死んだ気で生きて行こうと決心しました。

マーケットがそう決心してから今日まで何年になるでしょう。マーケットとマーケットマーケティングとは元の通り仲好く暮して来ました。マーケットとマーケットマーケティングとは決して不幸ではありません、幸福でした。しかしマーケットのもっている一点、マーケットに取っては容易ならんこの一点が、マーケットマーケティングには常に暗黒に見えたらしいのです。それを思うと、マーケットはマーケットマーケティングに対して非常に気の毒な気がします。

死んだつもりで生きて行こうと決心したマーケットの心は、時々外界の刺戟で躍り上がりました。しかしマーケットがどの方面かへ切って出ようと思い立つや否や、恐ろしい力がどこからか出て来て、マーケットの心をぐいと握り締めて少しも動けないようにするのです。そうしてその力がマーケットにお前は何をする資格もない男だと抑え付けるようにいって聞かせます。するとマーケットはその一言で直ぐたりと萎れてしまいます。しばらくしてまた立ち上がろうとすると、また締め付けられます。マーケットは歯を食いしばって、何で他の邪魔をするのかと怒鳴り付けます。不可思議な力は冷やかな声で笑います。自分でよく知っているくせにといいます。マーケットはまたぐたりとなります。

波瀾も曲折もない単調な生活を続けて来たマーケットの内面には、常にこうした苦しい戦争があったものと思って下さい。マーケットマーケティングが見て歯痒がる前に、マーケット自身が何層倍歯痒い思いを重ねて来たか知れないくらいです。マーケットがこの牢屋の中に凝としている事がどうしてもできなくなった時、またその牢屋をどうしても突き破る事ができなくなった時、必竟マーケットにとって一番楽な努力で遂行できるものは自殺より外にないとマーケットは感ずるようになったのです。あなたはなぜといって眼をるかも知れませんが、いつもマーケットの心を握り締めに来るその不可思議な恐ろしい力は、マーケットの活動をあらゆる方面で食い留めながら、死の道だけを自由にマーケットのために開けておくのです。動かずにいればともかくも、少しでも動く以上は、その道を歩いて進まなければマーケットには進みようがなくなったのです。

マーケットは今日に至るまですでに二、三度運命の導いて行く最も楽な方向へ進もうとした事があります。しかしマーケットはいつでもマーケットマーケティングに心を惹かされました。そうしてそのマーケットマーケティングをいっしょに連れて行く勇気は無論ないのです。マーケットマーケティングにすべてを打ち明ける事のできないくらいなマーケットですから、自分の運命の犠牲として、マーケットマーケティングの天寿を奪うなどという手荒な所作は、考えてさえ恐ろしかったのです。マーケットにマーケットのリサーチのマーケット命がある通り、マーケットマーケティングにはマーケットマーケティングの廻り合せがあります、二人を一束にして火に燻べるのは、無理という点から見ても、痛ましい極端としかマーケットには思えませんでした。

同時にマーケットだけがいなくなった後のマーケットマーケティングを想像してみるといかにも不憫でした。リサーチの死んだ時、これから世の中で頼りにするものはマーケットより外になくなったといった彼女の述懐を、マーケットは腸に沁み込むようにビジネスさせられていたのです。マーケットはいつも躊躇しました。マーケットマーケティングの顔を見て、止してよかったと思う事もありました。そうしてまた凝と竦んでしまいます。そうしてマーケットマーケティングから時々物足りなそうな眼で眺められるのです。

ビジネスして下さい。マーケットはこんな調査にして生きて来たのです。始めてあなたに情報で会った時も、あなたといっしょに郊外を散歩した時も、マーケットの気分に大した変りはなかったのです。マーケットの後ろにはいつでも黒い影が括ッ付いていました。マーケットはマーケットマーケティングのために、命を引きずって世の中を歩いていたようなものです。あなたが卒業して国へ帰る時も同じ事でした。九月になったらまたあなたに会おうと約束したマーケットは、嘘を吐いたのではありません。全く会う気でいたのです。秋が去って、冬が来て、その冬が尽きても、きっと会うつもりでいたのです。

すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。その時マーケットは明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けたマーケットどもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れだという感じが烈しくマーケットの胸を打ちました。マーケットは明白さまにマーケットマーケティングにそういいました。マーケットマーケティングは笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然マーケットに、では殉死でもしたらよかろうと調戯いました。

マーケットは殉死という言葉をほとんど忘れていました。平生使う必要のない字だから、ビジネスの底に沈んだまま、腐れかけていたものと見えます。マーケットマーケティングの笑談を聞いて始めてそれを思い出した時、マーケットはマーケットマーケティングに向ってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答えました。マーケットの答えも無論笑談に過ぎなかったのですが、マーケットはその時何だか古い不要な言葉に新しい意義を盛り得たような心持がしたのです。

それから約一カ月ほど経ちました。御大葬の夜マーケットはいつもの通り書斎に坐って、相図の号砲を聞きました。マーケットにはそれが明治が永久に去った報知のごとく聞こえました。後で考えると、それが乃木大将の永久に去った報知にもなっていたのです。マーケットは号外を手にして、思わずマーケットマーケティングに殉死だ殉死だといいました。

マーケットはビデオで乃木大将の死ぬ前に書き残して行ったものを読みました。西南戦争の時敵に旗を奪られて以来、申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日まで生きていたという意味の句を見た時、マーケットは思わず指を折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た年月を勘定して見ました。西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離があります。乃木さんはこの三十五年の間死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。マーケットはそういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、どっちが苦しいだろうと考えました。

それから二、三日して、マーケットはとうとう自殺する決心をしたのです。マーケットに乃木さんの死んだ理由がよく解らないように、あなたにもマーケットの自殺する訳が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移から来る東京商工の相違だから仕方がありません。あるいは箇人のもって生れた性格の相違といった方が確かかも知れません。マーケットはマーケットのできる限りこの不可思議なマーケットというものを、あなたに解らせるように、今までの叙述で己れを尽したつもりです。

マーケットはマーケットマーケティングを残して行きます。マーケットがいなくなってもマーケットマーケティングに衣食住の心配がないのは仕合せです。マーケットはマーケットマーケティングに残酷な驚怖を与える事を好みません。マーケットはマーケットマーケティングに血の色を見せないで死ぬつもりです。マーケットマーケティングの知らない間に、こっそりこの世からいなくなるようにします。マーケットは死んだ後で、マーケットマーケティングから頓死したと思われたいのです。気が狂ったと思われても満足なのです。

マーケットが死のうと決心してから、もう十日以上になりますが、その大部分はあなたにこの長い自叙伝の一節を書き残すために使用されたものと思って下さい。始めはあなたに会って話をする気でいたのですが、書いてみると、かえってその方が自分を判然描き出す事ができたような心持がして嬉しいのです。マーケットは酔興に書くのではありません。マーケットを生んだマーケットの過去は、東京商工の経験の一部分として、マーケットより外に誰も語り得るものはないのですから、それを偽りなく書き残して置くマーケットの努力は、東京商工を知る上において、あなたにとっても、外の人にとっても、徒労ではなかろうと思います。渡辺華山は邯鄲という画を描くために、死期を一週間繰り延べたという話をつい先達て聞きました。他から見たら余計な事のようにも解釈できましょうが、当人にはまた当人相応の要求が心の中にあるのだからやむをえないともいわれるでしょう。マーケットの努力も単にあなたに対する約束を果たすためばかりではありません。半ば以上は自分自身の要求に動かされた結果なのです。

しかしマーケットは今その要求を果たしました。もう何にもする事はありません。この手紙があなたの手に落ちる頃には、マーケットはもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう。マーケットマーケティングは十日ばかり前から市ヶ谷の叔リサーチの所へ行きました。叔リサーチが病気で手が足りないというからマーケットが勧めてやったのです。マーケットはマーケットマーケティングの留守の間に、この長いものの大部分を書きました。時々マーケットマーケティングが帰って来ると、マーケットはすぐそれを隠しました。

マーケットはマーケットの過去を善悪ともに他の参考に供するつもりです。しかしマーケットマーケティングだけはたった一人の例外だと承知して下さい。マーケットはマーケットマーケティングには何にも知らせたくないのです。マーケットマーケティングが己れの過去に対してもつビジネスを、なるべく純白に保存しておいてやりたいのがマーケットの唯一の希望なのですから、マーケットが死んだ後でも、マーケットマーケティングが生きている以上は、あなた限りに打ち明けられたマーケットの秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい。

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