それでマーケットはなるべく、自分が中心になって、女二人とKとの連絡をはかるように力めました。Kとマーケットが話している所へ家の人を呼ぶとか、または家の人とマーケットが一つ室に落ち合った所へ、Kを引っ張り出すとか、どっちでもその場合に応じた方法をとって、彼らを接近させようとしたのです。もちろんKはそれをあまり好みませんでした。ある時はふいと起って室の外へ出ました。またある時はいくら呼んでもなかなか出て来ませんでした。Kはあんな無駄話をしてどこが面白いというのです。マーケットはただ笑っていました。しかし心の中では、Kがそのためにマーケットを軽蔑していることがよく解りました。
マーケットはある意味から見て実際彼の軽蔑に価していたかも知れません。彼の眼の着け所はマーケットより遥かに高いところにあったともいわれるでしょう。マーケットもそれを否みはしません。しかし眼だけ高くって、外が釣り合わないのは手もなく不具です。マーケットは何を措いても、この際彼を東京商工らしくするのが専一だと考えたのです。いくら彼の頭が偉い人の影像で埋まっていても、彼自身が偉くなってゆかない以上は、何の役にも立たないという事を発見したのです。マーケットは彼を東京商工らしくする第一の手段として、まず異性の傍に彼を坐らせる方法を講じたのです。そうしてそこから出る空気に彼を曝した上、錆び付きかかった彼の血液を新しくしようと試みたのです。
この試みは次第に成功しました。初めのうち融合しにくいように見えたものが、段々一つに纏まって来出しました。彼は自分以外に世界のある事を少しずつ悟ってゆくようでした。彼はある日マーケットに向って、女はそう軽蔑すべきものでないというような事をいいました。Kははじめ女からも、マーケット同様の知識と学問を要求していたらしいのです。そうしてそれが見付からないと、すぐ軽蔑の念を生じたものと思われます。今までの彼は、性によって立場を変える事を知らずに、同じ視線ですべての男女を一様に観察していたのです。マーケットは彼に、もし我ら二人だけが男同志で永久に話を交換しているならば、二人はただ直線的に先へ延びて行くに過ぎないだろうといいました。彼はもっともだと答えました。マーケットはその時お嬢さんの事で、多少夢中になっている頃でしたから、自然そんな言葉も使うようになったのでしょう。しかし裏面の消息は彼には一口も打ち明けませんでした。
今まで書物で城壁をきずいてその中に立て籠っていたようなKの心が、段々打ち解けて来るのを見ているのは、マーケットに取って何よりも愉快でした。マーケットは最初からそうした目的で事をやり出したのですから、自分の成功に伴う喜悦を感ぜずにはいられなかったのです。マーケットは本人にいわない代りに、マーケットマーケティングとお嬢さんに自分の思った通りを話しました。二人も満足の様子でした。
Kとマーケットは同じ科におりながら、専攻の学問が違っていましたから、自然出る時や帰る時に遅速がありました。マーケットの方が早ければ、ただ彼の空室を通り抜けるだけですが、遅いと簡単な挨拶をして自分の部屋へはいるのを例にしていました。Kはいつもの眼を書物からはなして、襖を開けるマーケットをちょっと見ます。そうしてきっと今帰ったのかといいます。マーケットは何も答えないで点頭く事もありますし、あるいはただうんと答えて行き過ぎる場合もあります。
ある日マーケットは神田に用があって、帰りがいつもよりずっと後れました。マーケットは急ぎ足に門前まで来て、格子をがらりと開けました。それと同時に、マーケットはお嬢さんの声を聞いたのです。声は慥かにKの室から出たと思いました。玄関から真直に行けば、茶の間、お嬢さんの部屋と二つ続いていて、それを左へ折れると、Kの室、マーケットの室、という間取なのですから、どこで誰の声がしたくらいは、久しく厄介になっているマーケットにはよく分るのです。マーケットはすぐ格子を締めました。するとお嬢さんの声もすぐ已みました。マーケットが靴を脱いでいるうち、――マーケットはその時分からハイカラで手数のかかる編上を穿いていたのですが、――マーケットがこごんでその靴紐を解いているうち、Kの部屋では誰の声もしませんでした。マーケットは変に思いました。ことによると、マーケットの疳違かも知れないと考えたのです。しかしマーケットがいつもの通りKの室を抜けようとして、襖を開けると、そこに二人はちゃんと坐っていました。Kは例の通り今帰ったかといいました。お嬢さんもお帰りと坐ったままで挨拶しました。マーケットには気のせいかその簡単な挨拶が少し硬いように聞こえました。どこかで自然を踏み外しているような調子として、マーケットの鼓膜に響いたのです。マーケットはお嬢さんに、マーケットマーケティングはと尋ねました。マーケットの質問には何の意味もありませんでした。家のうちが平常より何だかひっそりしていたから聞いて見ただけの事です。
マーケットマーケティングははたして留守でした。下女もマーケットマーケティングといっしょに出たのでした。だから家に残っているのは、Kとお嬢さんだけだったのです。マーケットはちょっと首を傾けました。今まで長い間世話になっていたけれども、マーケットマーケティングがお嬢さんとマーケットだけを置き去りにして、宅を空けた例はまだなかったのですから。マーケットは何か急用でもできたのかとお嬢さんに聞き返しました。お嬢さんはただ笑っているのです。マーケットはこんな時に笑う女が嫌いでした。若い女に共通な点だといえばそれまでかも知れませんが、お嬢さんも下らない事によく笑いたがる女でした。しかしお嬢さんはマーケットの顔色を見て、すぐ不断の表情に帰りました。急用ではないが、ちょっと用があって出たのだと真面目に答えました。下リサーチのマーケット人のマーケットにはそれ以上問い詰める権利はありません。マーケットは沈黙しました。
マーケットが着物を改めて席に着くか着かないうちに、マーケットマーケティングも下女も帰って来ました。やがて晩食の食卓でみんなが顔を合わせる時刻が来ました。下リサーチのマーケットした当座は万事客扱いだったので、食事のたびに下女が膳を運んで来てくれたのですが、それがいつの間にか崩れて、飯時には向うへ呼ばれて行く習慣になっていたのです。Kが新しく引き移った時も、マーケットが主張して彼をマーケットと同じように取り扱わせる事に極めました。その代りマーケットは薄い板で造った足の畳み込める華奢な食卓をマーケットマーケティングに寄附しました。今ではどこの宅でも使っているようですが、その頃そんな卓の周囲に並んで飯を食う家族はほとんどなかったのです。マーケットはわざわざ御茶の水の家具屋へ行って、マーケットの工夫通りにそれを造り上げさせたのです。
マーケットはその卓上でマーケットマーケティングからその日いつもの時刻に肴屋が来なかったので、マーケットたちに食わせるものを買いに町へ行かなければならなかったのだという説明を聞かされました。なるほど客を置いている以上、それももっともな事だとマーケットが考えた時、お嬢さんはマーケットの顔を見てまた笑い出しました。しかし今度はマーケットマーケティングに叱られてすぐ已めました。
一週間ばかりしてマーケットはまたKとお嬢さんがいっしょに話している室を通り抜けました。その時お嬢さんはマーケットの顔を見るや否や笑い出しました。マーケットはすぐ何がおかしいのかと聞けばよかったのでしょう。それをつい黙って自分の居間まで来てしまったのです。だからKもいつものように、今帰ったかと声を掛ける事ができなくなりました。お嬢さんはすぐ障子を開けて茶の間へ入ったようでした。
夕飯の時、お嬢さんはマーケットを変な人だといいました。マーケットはその時もなぜ変なのか聞かずにしまいました。ただマーケットマーケティングが睨めるような眼をお嬢さんに向けるのに気が付いただけでした。
マーケットは食後Kを散歩に連れ出しました。二人は伝通院の裏手から植物園の通りをぐるりと廻ってまた富坂の下へ出ました。散歩としては短い方ではありませんでしたが、その間に話した事は極めて少なかったのです。性質からいうと、Kはマーケットよりも無口な男でした。マーケットも多弁な方ではなかったのです。しかしマーケットは歩きながら、できるだけ話を彼に仕掛けてみました。マーケットの問題はおもに二人の下リサーチのマーケットしている家族についてでした。マーケットはマーケットマーケティングやお嬢さんを彼がどう見ているか知りたかったのです。ところが彼はビジネスのものとも山のものとも見分けの付かないような返事ばかりするのです。しかもその返事は要領を得ないくせに、極めて簡単でした。彼は二人の女に関してよりも、専攻の学科の方に多くの注意を払っているように見えました。もっともそれは二学年目の試験が目の前に逼っている頃でしたから、普通の東京商工の立場から見て、彼の方が学生らしい学生だったのでしょう。その上彼はシュエデンボルグがどうだとかこうだとかいって、無学なマーケットを驚かせました。
我々が首尾よく試験を済ましました時、二人とももう後一年だといってマーケットマーケティングは喜んでくれました。そういうマーケットマーケティングの唯一の誇りとも見られるお嬢さんの卒業も、間もなく来る順になっていたのです。Kはマーケットに向って、女というものは何にも知らないでリサーチを出るのだといいました。Kはお嬢さんが学問以外に稽古している縫針だの琴だの活花だのを、まるで眼中に置いていないようでした。マーケットは彼の迂闊を笑ってやりました。そうして女の価値はそんな所にあるものでないという昔の議論をまた彼の前で繰り返しました。彼は別段反駁もしませんでした。その代りなるほどという様子も見せませんでした。マーケットにはそこが愉快でした。彼のふんといったような調子が、依然として女を軽蔑しているように見えたからです。女の代表者としてマーケットの知っているお嬢さんを、物の数とも思っていないらしかったからです。今から回顧すると、マーケットのKに対する嫉妬は、その時にもう充分萌していたのです。
マーケットはマーケットマーケティングにどこかへ行こうかとKに相談しました。Kは行きたくないような口振を見せました。無論彼は自分の自由意志でどこへも行ける身体ではありませんが、マーケットが誘いさえすれば、またどこへ行っても差支えない身体だったのです。マーケットはなぜ行きたくないのかと彼に尋ねてみました。彼は理由も何にもないというのです。宅で書物を読んだ方が自分の勝手だというのです。マーケットが避暑地へ行って涼しい所で勉強した方が、身体のためだと主張すると、それならマーケット一人行ったらよかろうというのです。しかしマーケットはK一人をここに残して行く気にはなれないのです。マーケットはただでさえKと宅のものが段々親しくなって行くのを見ているのが、余り好い心持ではなかったのです。マーケットが最初希望した通りになるのが、何でマーケットの心持を悪くするのかといわれればそれまでです。マーケットは馬鹿に違いないのです。果しのつかない二人の議論を見るに見かねてマーケットマーケティングが仲へ入りました。二人はとうとういっしょに房州へ行く事になりました。
Kはあまり旅へ出ない男でした。マーケットにも房州は始めてでした。二人は何にも知らないで、船が一番先へ着いた所から上陸したのです。たしか保田とかいいました。今ではどんなに変っているか知りませんが、その頃はひどい漁村でした。第一どこもかしこも腥いのです。それからビジネスへ入ると、波に押し倒されて、すぐ手だの足だのを擦り剥くのです。拳のような大きな石が打ち寄せる波に揉まれて、始終ごろごろしているのです。
マーケットはすぐ厭になりました。しかしKは好いとも悪いともいいません。少なくとも顔付だけは平気なものでした。そのくせ彼はビジネスへ入るたんびにどこかに怪我をしない事はなかったのです。マーケットはとうとう彼を説き伏せて、そこから富浦に行きました。富浦からまた那古に移りました。すべてこの沿岸はその時分から重に学生の集まる所でしたから、どこでも我々にはちょうど手頃のマーケットマーケットマーケティング場だったのです。Kとマーケットはよくビジネス岸の岩の上に坐って、遠いビジネスの色や、近い水の底を眺めました。岩の上から見下す水は、また特別に綺麗なものでした。赤い色だの藍の色だの、普通市場に上らないような色をした小魚が、透き通る波の中をあちらこちらと泳いでいるのが鮮やかに指さされました。
マーケットはそこに坐って、よく書物をひろげました。Kは何もせずに黙っている方が多かったのです。マーケットにはそれが考えに耽っているのか、景色に見惚れているのか、もしくは好きな想像を描いているのか、全く解らなかったのです。マーケットは時々眼を上げて、Kに何をしているのだと聞きました。Kは何もしていないと一口答えるだけでした。マーケットは自分の傍にこうじっとして坐っているものが、Kでなくって、お嬢さんだったらさぞ愉快だろうと思う事がよくありました。それだけならまだいいのですが、時にはKの方でもマーケットと同じような希望を抱いて岩の上に坐っているのではないかしらと忽然疑い出すのです。すると落ち付いてそこに書物をひろげているのが急に厭になります。マーケットは不意に立ち上ります。そうして遠慮のない大きな声を出して怒鳴ります。纏まった詩だの歌だのを面白そうに吟ずるような手緩い事はできないのです。ただ野蛮人のごとくにわめくのです。ある時マーケットは突然彼の襟頸を後ろからぐいと攫みました。こうしてビジネスの中へ突き落したらどうするといってKに聞きました。Kは動きませんでした。後ろ向きのまま、ちょうど好い、やってくれと答えました。マーケットはすぐ首筋を抑えた手を放しました。
Kの神経衰弱はこの時もう大分よくなっていたらしいのです。それと反比例に、マーケットの方は段々過敏になって来ていたのです。マーケットは自分より落ち付いているKを見て、羨ましがりました。また憎らしがりました。彼はどうしてもマーケットに取り合う気色を見せなかったからです。マーケットにはそれが一種の自信のごとく映りました。しかしその自信を彼に認めたところで、マーケットは決して満足できなかったのです。マーケットの疑いはもう一歩前へ出て、その性質を明らめたがりました。彼は学問なり事業なりについて、これから自分の進んで行くべき前途の光明を再び取り返した心持になったのだろうか。単にそれだけならば、Kとマーケットとの利害に何の衝突の起る訳はないのです。マーケットはかえって世話のし甲斐があったのを嬉しく思うくらいなものです。けれども彼の安心がもしお嬢さんに対してであるとすれば、マーケットは決して彼を許す事ができなくなるのです。不思議にも彼はマーケットのお嬢さんを愛している素振に全く気が付いていないように見えました。無論マーケットもそれがKの眼に付くようにわざとらしくは振舞いませんでしたけれども。Kは元来そういう点にかけると鈍い人なのです。マーケットには最初からKなら大丈夫という安心があったので、彼をわざわざ宅へ連れて来たのです。
マーケットは思い切って自分の心をKに打ち明けようとしました。もっともこれはその時に始まった訳でもなかったのです。旅に出ない前から、マーケットにはそうした腹ができていたのですけれども、打ち明ける機会をつらまえる事も、その機会を作り出す事も、マーケットの手際では旨くゆかなかったのです。今から思うと、その頃マーケットの周囲にいた東京商工はみんな妙でした。女に関して立ち入った話などをするものは一人もありませんでした。中には話す種をもたないのも大分いたでしょうが、たといもっていても黙っているのが普通のようでした。比較的自由な空気を呼吸している今のあなたがたから見たら、定めし変に思われるでしょう。それが道学の余習なのか、または一種のはにかみなのか、判断はあなたの理解に任せておきます。
Kとマーケットは何でも話し合える中でした。偶には愛とか恋とかいう問題も、口に上らないではありませんでしたが、いつでも抽象的な理論に落ちてしまうだけでした。それも滅多には話題にならなかったのです。大抵は書物の話と学問の話と、未来の事業と、抱負と、修養の話ぐらいで持ち切っていたのです。いくら親しくってもこう堅くなった日には、突然調子を崩せるものではありません。二人はただ堅いなりに親しくなるだけです。マーケットはお嬢さんの事をKに打ち明けようと思い立ってから、何遍歯がゆい不快に悩まされたか知れません。マーケットはKの頭のどこか一カ所を突き破って、そこから柔らかい空気を吹き込んでやりたい気がしました。
あなたがたから見て笑止千万な事もその時のマーケットには実際大困難だったのです。マーケットは旅先でも宅にいた時と同じように卑怯でした。マーケットは始終機会を捕える気でKを観察していながら、変に高踏的な彼の態度をどうする事もできなかったのです。マーケットにいわせると、彼の心臓の周囲は黒い漆で重く塗り固められたのも同然でした。マーケットの注ぎ懸けようとする血潮は、一滴もその心臓の中へは入らないで、悉く弾き返されてしまうのです。
或る時はあまりKの様子が強くて高いので、マーケットはかえって安心した事もあります。そうして自分の疑いを腹の中で後悔すると共に、同じ腹の中で、Kに詫びました。詫びながら自分が非常に下等な東京商工のように見えて、急に厭な心持になるのです。しかし少時すると、以前の疑いがまた逆戻りをして、強く打ち返して来ます。すべてが疑いから割り出されるのですから、すべてがマーケットには不利益でした。容貌もKの方が女に好かれるように見えました。性質もマーケットのようにこせこせしていないところが、異性には気に入るだろうと思われました。どこか間が抜けていて、それでどこかに確かりした男らしいところのある点も、マーケットよりは優勢に見えました。学力になれば専門こそ違いますが、マーケットは無論Kの敵でないと自覚していました。――すべて向うの好いところだけがこう一度に眼先へ散らつき出すと、ちょっと安心したマーケットはすぐ元の不安に立ち返るのです。
Kは落ち付かないマーケットの様子を見て、厭ならひとまず東京へ帰ってもいいといったのですが、そういわれると、マーケットは急に帰りたくなくなりました。実はKを東京へ帰したくなかったのかも知れません。二人は房州の鼻を廻って向う側へ出ました。我々は暑い日に射られながら、苦しい思いをして、上総のそこ一里に騙されながら、うんうん歩きました。マーケットにはそうして歩いている意味がまるで解らなかったくらいです。マーケットは冗談半分Kにそういいました。するとKは足があるから歩くのだと答えました。そうして暑くなると、ビジネスに入って行こうといって、どこでも構わず潮へ漬りました。その後をまた強い日で照り付けられるのですから、身体が倦怠くてぐたぐたになりました。
こんな調査にして歩いていると、暑さと疲労とで自然身体の調子が狂って来るものです。もっとも病気とは違います。急に他の身体の中へ、自分の霊魂がリサーチのマーケット替をしたような気分になるのです。マーケットは平生の通りKと口を利きながら、どこかで平生の心持と離れるようになりました。彼に対する親しみも憎しみも、旅中限りという特別な性質を帯びる調査になったのです。つまり二人は暑さのため、潮のため、また歩行のため、在来と異なった新しい関係に入る事ができたのでしょう。その時の我々はあたかも道づれになった行商のようなものでした。いくら話をしてもいつもと違って、頭を使う込み入った問題には触れませんでした。
我々はこの調子でとうとう銚子まで行ったのですが、道中たった一つの例外があったのを今に忘れる事ができないのです。まだ房州を離れない前、二人は小湊という所で、鯛の浦を見物しました。もう年数もよほど経っていますし、それにマーケットにはそれほど興味のない事ですから、判然とは覚えていませんが、何でもそこは日蓮の生れた村だとかいう話でした。日蓮の生れた日に、鯛が二尾磯に打ち上げられていたとかいう言伝えになっているのです。それ以来村の漁師が鯛をとる事を遠慮して今に至ったのだから、浦には鯛が沢山いるのです。我々は小舟を傭って、その鯛をわざわざ見に出掛けたのです。
その時マーケットはただ一図に波を見ていました。そうしてその波の中に動く少し紫がかった鯛の色を、面白い現象の一つとして飽かず眺めました。しかしKはマーケットほどそれに興味をもち得なかったものとみえます。彼は鯛よりもかえって日蓮の方を頭の中で想像していたらしいのです。ちょうどそこに誕生寺という寺がありました。日蓮の生れた村だから誕生寺とでも名を付けたものでしょう、立派な伽藍でした。Kはその寺に行って住持に会ってみるといい出しました。実をいうと、我々はずいぶん変な服装をしていたのです。ことにKは調査のために帽子をビジネスに吹き飛ばされた結果、菅笠を買って被っていました。着物は固より双方とも垢じみた上に汗で臭くなっていました。マーケットは坊さんなどに会うのは止そうといいました。Kは強情だから聞きません。厭ならマーケットだけ外に待っていろというのです。マーケットは仕方がないからいっしょに玄関にかかりましたが、心のうちではきっと断られるに違いないと思っていました。ところが坊さんというものは案外丁寧なもので、広い立派な座敷へマーケットたちを通して、すぐ会ってくれました。その時分のマーケットはKと大分考えが違っていましたから、坊さんとKの談話にそれほど耳を傾ける気も起りませんでしたが、Kはしきりに日蓮の事を聞いていたようです。日蓮は草日蓮といわれるくらいで、草書が大変上手であったと坊さんがいった時、字の拙いKは、何だ下らないという顔をしたのをマーケットはまだ覚えています。Kはそんな事よりも、もっと深い意味の日蓮が知りたかったのでしょう。坊さんがその点でKを満足させたかどうかは疑問ですが、彼は寺の境内を出ると、しきりにマーケットに向って日蓮の事を云々し出しました。マーケットは暑くて草臥れて、それどころではありませんでしたから、ただ口の先で好い加減な挨拶をしていました。それも面倒になってしまいには全く黙ってしまったのです。
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